「山奥ニート」の記事を読んで。。
yahooニュースを読んでいたら、興味深い内容だったのでつい読み耽ってしまった記事がある。
和歌山県の山間部で地元の人たちの仕事を手伝いながら、わずかな収入で自由気ままに生活している若者たちがいる。あくせく働かず、自然に恵まれた環境で好きなことをしながら暮らす“山奥ニート”たち。かつて引きこもりだった人もおり、「楽しく暮らすのが一番」とも。そんな彼らに地元の人たちも好意的だが、こうした「自由な生き方」は新しいライフスタイルとして定着するのだろうか。(兵頭茜)
“山奥ニート”増殖 あくせく働かず自由…新しい生き方!?(産経新聞より)
和歌山県の山間部で、自分たちの好きなスタイルで生活している若者たちがいるという。
驚くべきは、「月25,000円」で生活できるということ。
詳細は記事に委ねることとするが、この記事を読んだ感想としては、地域社会に歓迎され頼られる一方で、自分たちのプライベートも守られて楽しく生きていけるという、なんとも居心地のいい関係ができあがって生活している状況について、「こういう生き方ってありだよな」って正直思うことができた。
そもそも、誰しもがこういう人生を歩み、こうなることが人生の幸せなのだ、といった決まったルールなどない。
要は、「自分自身がどういう生き方に幸せを見出すか」ということなのであって、それは千差万別である。
どうしても一般的に「将来」という観点で考えてしまうと、「お金」という束縛があって、いろいろと自由を制限してしまうところがあるが、実はそれは勝手な思い込みなのであって、こういう記事を読むと、実は最低限のお金が得られる術さえあれば生きていく方法などもっとあるのかもしれない、と気づかされる。
都市部にいると、いろんな物やサービスが溢れており、その何もかもに「お金」が絡んでくる。そうすると「お金」がないとどうしようもないと思ってしまうところである。
しかし、一歩「田舎」に足を踏みだし、もっと別なことに価値を見いだすことができれば、「お金」は生きていく最低限のものさえあればよく、十分それで幸せということとなる。
最近、田舎暮らしに関しての情報が溢れているところであるが、もっと自分の時間を自然とともに楽しみながら生きたい、という人が増えているということなのだろうか。
自分も、常に神経をすり減らして何かに追い立てられ、いつの間にか時間が猛スピードで過ぎ去ってしまう今の生き方が良いとは思っていない。
社会とはつながっていたいとは思いつつも、もっと時間にゆとりをもって、四季の移ろいを楽しみながら、やりたいことに没頭できる、そんな生き方を目指したいと思っている。
ところが、自分は「超就職氷河期世代」に就職したこともあってか、なかなか仕事に対して不満を抱きつつも「辞める」という踏ん切りができないタイプであり、いろいろ考えつつも仕事を続けている。
しかし、もしかして思い切って飛び出せば「新たな生き方」ができるのかもしれないなって、今回改めて思った次第である。
今日も日経平均が下がり、資産運用は相変わらずうまくいってないところであるが、日々のお金との格闘に明け暮れている自分が、こういう記事に接すると、自分が「お金」に執着していることが「いったい何に必死になってるんだろう」などと思ってしまう。
ま、そうはいっても、今は自分の選択肢を増やすためにお金が必要なのであり、だからこそ試行錯誤は今後も引き続きしないといけない。
だが、「もっと別な生き方もあるのかもしれないぞ」、という視点は忘れないでおきたい。
自分の知らない生き方が、もっともっと溢れているのかもしれないのだから。