「3.11」思い起こす。そして自分の生き方を考える
本日はga「3.11」
あの震災から早くも5年が経つ。
今日の午後からはとりわけ大きな特集が報道で組まれているようだ。
自分は震災時は関東に住んでいた。
そして今は被災地の実家に住んでいる。
いろんなことが思い起こされる。
そしてあの震災時から今日に至るまで、いろんな思いをもって今を迎えている。
一言ではとても言い切れないあの震災時の悲惨さ。
そしてあれから5年経っても復興はさっぱり進んでいるとは思えない現実。
「もう無理ではないのか」
なにか少し「あきらめ」みたいなものを感じる時さえある。
世の中何が起きるかわからない。
いくら大丈夫と思っていても、他人がうらやむような生き方をしていたとしても、計画通り筋道通りの生き方をしたとしても、予想外の一瞬の出来事で人生の歯車が大きく変わってしまうことは、よく耳にするところだ。
それを「運命」と言って片付けるには、あまりにもむごいこの大震災ではあるが、こういうどうしようもないことというのは、毎年どこかしこで規模の大小にかかわらず起きている。
大震災から5年経ち、自分は「自分の一生」というのをもっと意識したいと思うようになった。
そしてそのための「時間」というものを。
たとえ外から見ればうらやましいと思われるような立場であっても、それが忍耐と不満に支配され、やりがいもなく人間関係に苦しみ毎日苦痛だらけの人生を定年まで歩んでいくこととなるとしたら。
それが本当に自分にとっていいことなのだろうか。
そんな状況で天災に見舞われて死んだりなんてしたら。。。
どうせならやりがい、生きがいをもって日々過ごしたい。
それができないなら、季節の移ろいを感じながら日々ゆっくり過ごしたい。
そのために「今、この時」を犠牲にして良いのだろうか。
そんな犠牲にする「暇」なぞあるのだろうか。
自分のこういった考えは、大震災時から、仕事への不満と重なりながら徐々に形成されてきたのかもしれない。
今日もインフルエンザのため仕事を休んでいる。
病気で横になりながら特別な日を迎えて、ふとこんなことを改めて思い出すこととなった。