仕事の引き際について(東京都舛添知事の辞任願いの報道を見て思ったこと)
東京都知事の舛添氏の件が連日ニュースにされています。
一つ一つの点は、報道を見ればわかることですし、そのことについては東京都民ではない自分から見ても、明らかに非難されて然るべきことだし、こんな振る舞いをして平然としていたことに都民が憤りを覚えることはもっともだと思います。
このことについて、本日辞職願を提出し正式に辞任が決定したとのことですが、時間の問題だったというほかありません。
この問題について言及することはしませんが、私にとって気になっていることが一つありましたので、その件についてあえて書こうと思います。
それは、「辞任するタイミング」というもの。
いわゆる「引き際」というものです。
どんなにこれまでの経歴が素晴らしく優秀なものであったとしても、今回の舛添さんのようなかたちでその職を辞めざるをえないという終わり方。
果たして、それは自分の人生にとってどうなのでしょうか?
私にとって理想的な仕事の終え方というものがあります。
それは、自分としてやれることを精一杯やり、そして皆から惜しまれつつ仕事を終えるというもの。
そう、例えば「キャンディーズ」のような、さらに遡れば「原節子」のような感じというか。。。
そこまで歴史に残るまでではないとしても、周囲から慕われ、愛され、まだやれそうなのにと惜しまれつつ、自分の気持ちを貫いて最高の状態で終わるという終え方。
これは、私にとって憧れの仕事の終わり方ではないかと思っています。
そう思って考えてみると、今回の舛添さんのような、周囲から非難され、誰も味方がなく、八方ふさがりなまま、もはや逃げ道もなく仕事を終えるという選択というものは、
とても自分にとって望まない、絶対したくない結果のように思ってしまいました。
もちろん、自分は都知事などなれませんし、将来を見通しても世間から注目を浴びるような存在になることはほぼ不可能な人間ではありますので、私の発言は論及に値しないかもしれません。
しかし、たとえどのような立場だったとしても、上記のようなかたちで仕事人生を終えるというのは誰もが嫌な感じがするのではないでしょうか。
何度も書いている通り、私は今、仕事について悩んでいる立場です。
「引き際」というもの。
その言葉に少し敏感になっているところではありますが、改めてこのことについて考えたくなる、そんな出来事だったように思いました。